岩槻区の歴史・沿革

さいたま市・岩槻市の合併により、平成17年4月1日さいたま市の第10番目の区として「岩槻区」が誕生しました。
その年の5月には合併記念「うなぎまつり」が開催されました。

岩槻区は東京からおよそ30キロ、埼玉県東部、関東平野のほぼ中央に位置します。東京駅からおよそ1時間です。

岩槻区はその昔、太田道灌が関八洲の北側砦としてこの地に岩槻城を築いて以来、城下町として開かれ、のちには日光御成街道の宿場町として栄え、市内には数々の名所・史跡を有し、城下町としての名残をとどめています。

徳川幕府日光東照宮造営の頃におこったと伝えられる人形作りは現在、その質・量ともに日本一の地位を占め、“人形の街・岩槻”として広くその名が知られています。

岩槻の地名の由来・・・

「巌(いわお)をもって築けるがごとき城」という意味から起こり、古くは「岩付」や「岩築」の文字が用いられ「岩槻」となったのは宝暦明和の頃からといわれております。 また一説によると当地には「久伊豆神社」があるところから神を祭った土地の意味ともいわれています。

岩槻区の見どころ・・人形の街、岩槻

城下町として、また日光御成道の宿場町として賑いをみせていた岩槻に、江戸時代の初め、日光東照宮の造営、修築にあたった工匠たちがそのまま足をとどめ、人形づくりを手がけたのが起こりと伝えられています。

岩槻の周辺は昔から桐の産地で、箪笥や下駄などの桐細工が盛んに行われていました。工匠たちは、この桐の粉を糊と練り固めて人形をつくるととても発色がよく、また岩槻の水が胡粉(ごふん)に適していることを発見したのでした。これが、岩槻人形のおこりだと伝えられています。

このようにして作られた桐塑(とうそ)人形は丈夫で壊れにくく、また土に比べ精巧に作ることができ量産にも適していたため、以来岩槻の代表的地場産業として発達し現在に至っています。

 人形のまち・城下町 岩槻ルート
 人形のまち・岩槻 観光スポット
岩槻城址公園


自然林に囲まれた起伏の多い公園(17.9ha)で、岩槻城址の土塁が今も残っています。約800本の桜が咲く県内有数の桜の名所です。
園内の池には、朱塗りの八ツ橋が架けられています。